基本バスとか電車など乗り物に乗ってる時に突然として私の思考は始まるのですが、今回はそれを書いてみる。(論理的ではない)
若者言葉と呼ばれるものは広義なものが多いと思ってて、それって語彙力の低下があるんじゃないかという意見がある。それももしかしたらあるのかもしれないけど、与える・与えられている情報量が多く、それが普遍的な社会に生きてきた若者にとっては防衛手段的な役割として若者言葉を使っているのでは?本心を知られることの怖さみたいなのがあるのかなーと。(考えすぎ感)
憲法では言論の自由、表現の自由が定められているけれど自由というよりは”制限しない”って感じがする。(となると自由の定義とはってなる)
そんなことよりゼミブログ書いたり、発表のWord作りなさいって話()