世間に住んでいるのに社会に住んでいない

最近ゼミ以外のことを書いてばかりな気がするのでここら辺でゼミ、卒論をやっていることを…(とか言いつつ、論文で書かない主観的な感じに書く気も())

 

卒論のテーマとして当初は、マスクつけている日本人は本当に同調圧力が理由なのかみたいな所を調べる予定だったんですけど、路線変更して同調圧力に焦点をあててやっていこうかなと。

 

とりあえず、同調圧力ってそもそもちゃんと定義すると何?みたいなところからこの1冊を読みました。

 


この本では、同調圧力は「みんな同じに」といった命令であり、同調する対象はその時のいちばん強い集団になるとされている。

そして同調圧力が生まれる原因には、世間の存在がある。

ここで言う世間は、自分に関係される人だけで形成される世界。それに相反して定義されているのが社会である。社会は、自分と何も関係ない人も存在する社会、法律で定められている人間関係などと定義されている。

 

そこで、このブログのタイトルにも採用し、読み進めていく中で印象的だった言葉である、「世間に住んでいるが、社会に住んでいない」という言葉に注目してみる。

最初読んだ時、正直よく意味が分からなかった。日本人は世間に住んでいるが、社会には住んでいないらしい。概念として世間話はあパッと思いつくけど、社会話はあんま思いつかない。日本人の言動や行動は、世間を気にする同調圧力を受けてのものであり、社会という意識はあまりない。

 

日本では、法律よりも世間のルールが重要視される場面が多く、それが同調圧力を生んでいく。

 

となると、マスクは同調圧力でしているんだっっみたいな意見って氷山の一角みたいな。日本には同調圧力が元からあるから、そこで同調圧力を批判的な見方で見るってなんか上手く言い表せないけど違うような…。

 

この本を読んで普遍的な理解というか現状理解?みたいなのは一旦出来たので、次は組織行動学や組織心理学など学問的な視点の本を読む。あと、最も自殺率の低い町でフィールドワークしたものをまとめた本もあるらしいのでそれも読んでみる

 

なんか新しい知識を得たり、これってこういうことやったんや!みたいな作業は楽しいし好きなのだけど、そこから先に進んでない気もする、とりあえずはもうちょい読もうと思う。

 

自分が田舎を出ようという意識は、世間が得意じゃないかつ世間が世間を包含しているからより苦しく感じてて、そこから来とるんかなー。

 

まあ気ままにやります。

 

 

最近はただひたすら気ままに歩くのが楽しくて仕方ない